都会のオアシス!東大阪市・鴨高田神社

神社の周りは官舎や住宅地に囲まれています。
交通量も多い場所に位置するこの神社は、緑いっぱいで神聖な空気に包まれた、まさに都会の癒し、オアシス的存在です。
ちょっと一息つきたい時に気軽にお参りできる、この鴨高田神社の様子について紹介いたします。

境内に入って、右側にある手水舎。ここで手を清めましょう。

立て髪が立派な勇ましい狛犬さんがお出迎え。向かって右側の狛犬さんは口を大きく開けています。
本殿は、阪神淡路大震災により倒壊したとの記述があり、現在のものは平成に入ってから改修されたものです。

ご利益・・厄災除け・諸願成就・農業繁栄など
創建・・673年
歴史・・古代の豪族である鴨氏が大鴨積命を祀ったのが始まりとされています

荘厳な社殿と、静寂に包まれた境内。
私は拝殿に手をあわせると、心の奥から暖かい気持ちになれました。

こちらは拝殿の左前にある戎像です。 丸々とした姿のえべっさんは商売繁盛などのご利益があります。

水神社
ご祭神 水分神
亀さんがちょうど、日光浴していました。

樹齢1,000年を超えるという大きなクスノキです。存在感がありますね。

石碑


鴨高田神社より向かって左側に位置する、鴨稲荷神社。

小さくて可愛らしい手水舎。



よだれかけがかわいい狛犬さん。

小さな神社ですが、手を合わせると優しい気持ちになれます。
まとめ
東大阪市にある鴨高田神社を紹介しました。
都会のオアシス的存在であり、地元の人に古くから信仰されているこの神社に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
猪とゆかりがある!京都・護王神社とは?
由緒
ご利益 足腰の健康・病気怪我回復 厄除け・災難除け 亥年生まれの御守護 子育て・子供の成長の御守護 ぜん息封じ
玄子祭 11月1日
歴史
桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉成虫を祭神とする神社。
もとは、神護寺境内にあったが明治19年(886)、この地に移されたものです。
広虫が慈悲深く、孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ、育児の神としても信仰されています。
和気清麻呂といのしし
奈良時代、法皇となって権力を振るっていた弓削道鏡は、天皇の位をわがものにするため、「宇佐八幡より、我を皇位につかせよとのお告げがあった」と嘘をつきました。しかし、和気清麻呂は道鏡の嘘を見破り、そのことを天皇に告げたのです。
道鏡の怒りを買った和気清麻呂は、大隅国(現在の鹿児島県)に流されます。その道中、どこからともなく猪が300頭現れ、道案内をしてくれたそうです。
称徳天皇の崩御により銅鏡が失脚すると、和気清麻呂は都に呼び戻され、晩年まで世のため人のために尽くしました。
境内中央にある心安らぐ拝殿
ここでも2匹の狛猪さんがお出迎えしてくれます。
立派な拝殿です。拝殿の向こうには中門と本殿があります。手を合わせると、和気清麻呂の都への想いが伝わってくるような気がします。
京都御所の傍にこんなに心落ち着く空間があるということを、ご存じの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
是非、一度足を運んでいただきたいです。
喘息持ちの方必見!名木・カリンの木
樹齢1000年を超えるこの木は、京都巨樹名木100選にも選ばれており、この木の実を用いて作ったカリン酒は喘息に効くといわれています。
筆者も喘息持ちですが、こころなしか、この木の前に立ったら呼吸がしやすくなったのような気がしました。(それこそ、気のせいかもしれませんが笑)
必ず触ってご利益を授かりましょう!幸運の霊猪

境内に入って右側にある、霊猪手水舎。
ここにもかわいらしい猪の像がおいてあります。
この猪像、霊猪と呼ばれており、鼻を触ると幸せが訪れるといわれています。
筆者の前の方も熱心に触っておられたのが、印象的でした。
足腰の弱い方必見!足萎難儀回復の碑

本殿向かって右側にある、招魂樹の傍にあるのが、足萎難儀回復の碑。
こちらは、その名の通り、足腰の病気やけがの回復を願う場所でもあります。
足形の石をさすったり、足の上に乗ったりして、皆さん思い思いに病気回復を願っておられます。
その他の境内の様子
飛翔親子猪


猪コレクションなるギャラリーまでありました。大小さまざまな猪が並べられている姿は圧巻です。





祈祷殿
護王神社の御朱印
和気公宗社と書かれているのでしょうか。手書き(500円)のものと、印刷されたもの(300円)があります。
このほかにあったのは、きれいな切り絵御朱印(1000円)。ご縁を結んだ証にいかがでしょうか。

まとめ
病気平癒や子育てなど、さまざまなご利益があり、大変めずらしい猪が祀られている護国神社。
境内は荘厳な雰囲気に包まれています。
京都御所からのアクセスも大変よいこの神社に、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
菅原道真生誕の地!菅原院天満宮神社に行って、知恵を授かろう

京都市上京区に位置する、菅原院天満宮神社は、学問の神様・菅原道真公をお祀りする神社として有名です。
この日も受験シーズンを控え、多くの学生さんたちが参拝し、お守りを買い求めていました。
今回は、そんな受験生必見なご利益いっぱいの神社の様子を紹介いたしましょう。

御利益 学業成就 病気平癒 良縁
歴史
祖父である菅原清公から、孫の道真まで親子三代に渡る邸宅・菅原院があった場所です。
この地は、道真生誕の場所とも伝えられています。
道真の死後、菅原院跡地には歓喜寺が創建。
その後、歓喜寺は移転しますが、この地に新たに道真らを祀った神社が建てられることとなります。それが、菅原院天満宮神社です。

こちらが本殿のお写真になります。

手を合わせると、芯から安らぎを感じます。
勉強するのに、癒しって大切ですよね。ぜひこちらで暖かな気持ちをいただいて、リラックスして受験に挑んでください。

菅原道真が産湯として使用したといわれている井戸です。
なんでも、病気平癒のご利益があるんだとか!
受験生にとって、健康管理は必須ですよね。
実際に、参拝者用の給水所でお水がいただけます。
境内の隅に静かに佇んでいるので、ぜひ、こちらにも足を運んでみてください。

地蔵社
御祭神 天道大日如来(出世石神)
御利益 諸病平癒 子供守護


できものやはれもの、皮膚病、癌平癒にご利益があるといわれている、 梅丸大明神。写真では、拝殿の左手に鎮座しています。
この拝殿前にある丸い石が平癒石。
社務所で授与されるハンカチを押し当てて患部にそれを当てると癌にご利益があるとされています。
右側に鎮座するのが和融稲荷です。

菅公御遺愛の石灯籠
戸隠社
御祭神 戸隠大神(天手力男命)
御利益 歯痛止め (口腔関係の病の除去)
御祭神 九頭龍大神
御利益 良縁 雨乞い(水に関する事柄)


立派な狛犬がお出迎えしてくれます。

道真は幼少期に牛に助けられたなどの牛との関係が深いとされています。
天満宮ではよく見かける牛の像ですが、こちらも例外ではありません。牛は神使とされています。

受付には、たくさんのお守りや授与品が売られていました。
手水舎にも、小さなかわいい牛がいます。
まとめ
菅原院天満宮神社は、忙しい受験生にほんのひとときの癒しを与えてくれる神社です。
もちろん、受験生でない方も日頃の疲れや病を癒し、菅原道真公のご利益にあやかれる大変貴重な場所です。
ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。
TEL 075-211-4769 FAX 075-211-4769
参拝時間 午前6時~午後5時
拝観料 無料
駐車場 なし
ホームページ 菅原院天満宮神社<公式>
薬師寺に行くならまず休ヶ岡八幡宮に参拝しよう!

薬師寺拝観前に参拝するのが習わしとされており、心安らぐこの神社を今回はご紹介したいと思います。

御祭神
(いずれも国宝・現在は奈良国立博物館が管理)
創建 寛平年間(889~897年)
歴史
栄紹大法師が宇佐八幡宮より勧請されました。
現在の社殿(重要文化財)は、幾度かの天災・人災により破壊・焼失された後、慶長(1603)に豊臣秀頼によって新造されたものです。
他に垣門・楼門・中門等も新造されましたが、地震で崩壊しました。

本殿は三間社流造で、両脇に脇殿が接続。筋殿は十九明神の板絵(空蔵殿に安置)が祀られています。
南北の細長い建物は座小屋と呼ばれ、寺僧の加行場としても使用されていましたが、本来は古くから存した宮座の座衆が座すところです。
明治以後残っている例は少ないとされています。
また、両脇に脇殿が付属する社殿は少なく、しかも座小屋まで残っている点で歴史的に重要な建物です。
明治以後は神仏が分離され、一寺院が神社を管理している例は稀とされています。

ガラス越しで見えにくくてすみません。
特別公開されていた、八幡垂迹曼茶躍(室町時代・絹本著色)です。
僧形八幡神を中央に、上部左右には比売大神と神労皇后、中段左右には姫若宮と若宮、下段左右には武内宿禰と高良明神が描かれています。
人によるかもしれませんが、私は眺めていると穏やかな気持ちになれる曼荼羅でした。

休ヶ岡八幡宮の受付。
各種授与品や御朱印がいただけます。


まとめ
西ノ京といえば、どうしても薬師寺や唐招提寺が有名でそちらに足を運んでしまいがちです。
ですが、お立ち寄りの際はぜひ、休ヶ岡八幡宮にも足を運んでみてください。
静寂に包まれた境内は、参拝者の心を癒してくれますよ。
薬師寺を鎮守!孫太郎稲荷社

御祭神 倉稲意命(宇迦之魂)
御神徳 事業繁栄・商売繁昌・家内安全・厄除招福
例大祭 十二月八日
初午祭 二月最初の午の日
月次祭 每月二十日

歴史
創建は定かではありませんが、平安時代中期、栃木県佐野市に創建されたことが始まりとされている神社です。
また、江戸時代中期に社殿を造営したことが薬師寺古文書に記されています。
寛政年間、播州姫路に鎮座される孫太郎稲荷が休ケ岡八幡宮の北東、幸森に選座されたそうです。
古くから初午の日に稲荷社へ詣でて危除けを願う習わしがありますが、孫太郎稲荷でも、初午の日に神事を斎行しています。

社殿内部の写真です。
静かで落ち着いた雰囲気に、心が癒されますよ。

社殿に続く、朱色の鳥居。数は少ないです。

御神木。大切にされている印象を受けます。


お稲荷さんといえば、狐さんですね。
シュッとしたお顔が印象的な狐さんがお迎えしてくれます。

すぐ隣に鎮座する休ヶ岡八幡宮の末社にあたる孫太郎稲荷社。その休ヶ岡八幡宮に行けば、孫太郎稲荷の御朱印もいただけますよ。
初穂料は、1枚500円です。
薬師寺に参拝される方も多いと思いますが、ぜひこちらにも足を運んでみてはいかがでしょうか。
電話 0742-33-6001
拝観料 無料
柿の木がシンボルの隼神社と美仏・延命地蔵尊

奈良市の中心街である、小西さくら商店街を南に下った場所に位置する隼神社(別名 椿本神社)をご存じでしょうか。

御祭神 角振隼総別命
配祀 市寸島姫命
創建 舒明天皇の時代(おおよそ630年代)
歴史
茅渟王に奉勅して現在の地に祀ったとされている神社です。
平安遷都に伴い分祀されて平安京中の隼神社になったとされています。(これには、諸説あり)
御祭神の角振隼総別命は、角振新屋町というこの地名の由来ともなった神様です。

小さな境内には御神木である、柿の木か植えられています。
小さな神社ですが、街角の一息つける癒しの場所といったところでしょうか。
南振町から椿井、東城戸、南城戸、京終町に続く道を中街道と読んでいるとの立札がありました。

隼神社の隣にいらっしゃるのは、延命地蔵尊。
ご本尊は、奈良市指定文化財にもなっている、木造地菩薩半跏像(鎌倉時代)です。

奈良町では、寄り合いの場である会所と、そこに祭られる神仏への信仰が、町民の結び付きを現し、拠り所となってきました。
この建物も角振町の会所で、中に地蔵像、隣に隼神社を祭っています。
本尊は、左足を下ろして坐る、はんがという形式のお姿です。
鎌倉時代前期の作で、非常に均整のとれた貴重な美仏となっています。
残念ながら扉が閉まっており、仏様を直接は拝めませんが、手を合わせると心地よい気持ちになれるお堂です。
延命のご利益にあやかりたい方におすすめいたします。
ならまちに行ったならば外せない場所!庚申堂

ならまちの町屋の軒下にぶら下がっている、 身代わり申をご存知でしょうか

写真にある、このような赤い玉がいくつかぶら下がっているものです。
これは庚申堂にまつられている、庚申さんと呼ばれる青面金剛像のお使いの猿を形取ったものと言われています。
庚申堂建立は、文武天皇の御代(700年)に疫病が流行し、民衆が苦しみに喘いでいたことが由来です。

元興寺の高僧護命僧正がその加護を祈っていると青面金剛が現れ、「悪病を払ってやる」と言って消え去ったあと、間もなく悪病がおさまったそうです。
それ以来、人々はこの地に青面金剛をまつりました。

悪病を持ってくると言われる「三戸の虫」を退治し、健康に暮らすことを念じてお堂を作ったそうです。

お堂の正面には、たくさんの身代わり申がぶら下がっています。
ならまちらしく、趣があり、お堂はいつもきれいに掃除された状態です。

残念ながら、お堂の扉は閉められていますが、隙間からご本尊が拝めました。
手を合わせていると、心が安らかになるお堂です。

ならまちを訪れた際には足を運んでみたい、必見の場所です。
庚申堂(こうしんどう)
住所 〒630-8334 奈良市西新屋町
アクセス JR奈良駅から徒歩20分 近鉄奈良駅から徒歩15分



